以下は、著作権法(法庫.com)。をざっと拾い読みしたど素人の「かんそう」です。
ポイント
1「映画の著作物」には「譲渡権」が無い。用語
頒布:「配布」すること。→ 有償無償は関係ない。
譲渡:「所有権を移転」すること。→ 有償無償は関係ない。
もんだい
著作権者が「映画の著作物」の複製を作って売る場合(DVDやゲーム)、それは「譲渡」か「頒布」か?。
~1~
昔、映画館のオヤジがフィルムを勝手に複製したり、中古売買したりという問題があった。これに困った映画会社は、アタマをひねって「映画の著作物」とか
「頒布権」などの概念(莫迦にはみえない服)を編み出し、法律に加える事に成功した。これがあ
ると「君はこの映画のフィルム持っててもいいけどアンタはダメ!」みたいな事ができる。また「君は明後日まで持っててもいいけど明々後日はダメ!」みたい
な事もできる。つまり、映画会社が、自分で作った映画を、いつ、どこの映画館に掛けるかをコントロールできる。
その結果、映画会社は次回作の製作資金をきちんと回収できるようになった。つまり成立時点の社会~邦
画黄金期~では「妥当なルール」だった。
~2~
その後、闇業者がゲーセンのゲームのデッドコピーを安値で売る、という問題があった。社会全体としては小さな問題だったが、ゲーム会社は大いに困った。
彼らはアタマをひねって「ゲームは映画の著作物」という理屈を編み出して、裁判に勝った(パックマン訴訟)。
これにより、ゲーム産業は次回作の製作資金をきちんと回収できるようになった。つまり成立時点の社会~インベーダーハウス黄金期~では「妥当なルール」だった。
余談ながら、これが我が国における「プログラムの著作権」の始まりである。
~3~
ここまでの経緯から日本の著作権法では、映画とゲームは「頒布権アリ・譲渡権ナシ」となった。
その後、ゲーム業界は中古ゲームソフト売買の禁止訴訟を起こしたが敗訴した。ユーザーへの販売は「有償頒布」であって「譲渡」ではない、という理 屈だったようだが、判決は「ゲームソフトには消尽しない頒布権がない」。つまり、最初に販売した時点で頒布権は消えてなくなるという事のようだ。映画 DVDはどうなのだという疑問は脇に置く。
自分はこれで良いと思う。つまり、この時点の社会~概ね1998から2002頃~にとっては、ゲーム会社の主張は妥当なものでは無かったのだ。ま た、法律がどうあれ、生きて動いているニンゲンの常識的な考え方のほうが優先だろう。
法律上は「映画の著作物の全体的形成に創作的に寄与した者(16条)」とある。言い回しが難しいけど、これは納得出来る。「作り手への敬意」は一般的にカントクや役者や、ちょっとマニア入ってるとカメラマンや音響の人に向けられるからだ。
しかし映画、アニメ、テレビ番組、それからゲームは、とても大勢の人が協同で製作するものだ。いろんな機械も買わなければならないし電気代もかかる。そもそもカントク一人で映画ができるもんでもない。そこで通常は大きな会社が社員を雇ったり、才能のある人と契約したりして製作する。
、、、となると「職務上作成する著作物の著作者(15条)」が効いて来る。
第15条 法人その他使用者(以下この条において「法人等」という。)の発意に基づきその法人等の業務に従 事する者が職務上作成する著作物(プログラムの著作物を除く。)で、その法人等が自己の著作の名義の下に公表するものの著作者は、その作成の時における契 約、勤務規則その他に別段の定めがない限り、その法人等とする。
日本ではそんな事いちいち言ってたら仕事 が前に進まない。つまり一般的には映画会社。転じて放送番組では放送事業者が「著作権」を持っている。
作り手へ敬意は、一般的にカントクや役者など「サクヒンの全体的形成に創作的に寄与した者」に向けられるもの
です。
特に映画会社や放送事業者やゲーム会社に向けられるものではありません。
だからってうっぷを正当化するようなタイプの人はほっとくにしても、やっぱ疑問は残るのです。
視聴者から見た「著作権をまもる」には「サクヒンの全体的形成に創作的に寄与した者」に妥当な報酬が渡っている限りにおいてのみ、意味があると思 います。