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「チベットネタを書くとgoogleが広告を配信してくれなくなる」という日本語のブログを見たような気がするので、一応試してみます。
まさかぁ、と思ったんだけど、中国語の翻訳?に詳しそうなところだったので。当ブログの広告収入は、、、バッチリ書くとAdSense規約で罪となり罰せられるので、なにか目立つ変動があったら記事化って事でひとつ。
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およそ60年間、ウーツァン、カム、アムドとして知られるチベット全土のチベット人が、中国の弾圧のもと、常に怯え、脅され、監視の目に晒されて暮らしてこなければなりませんでした。それにもかかわらず、チベット人は、信仰心、国家意識、独自の文化を守るため、自由を求め続けてきました。チベット人のこのような特質、不屈の勇気を、私は心から称え、誇りに思います。
2008年3月10日 チベット民族平和蜂起49周年記念日におけるダライ・ラマ法王の声明
うわなにこんなに広いのか。と思った。たぶん「チベット騒乱、四川省に飛び火・僧侶含む8人死亡か(2008/03/18、NIKKEI NET)」などの見出しは、やや感覚にズレがありそうだ。少なくともチベット人は「飛び火」とは思ってないのじゃないかな。同じ地図でも、中華レイヤーとチベットレイヤーではずいぶん違うようだ。ひらたく言うと、行政区域の線引き自体が分断統治のツール。実は日本の県境も、東北あたりは佐幕藩を分断するように引いてあったりするので、そう珍しい話では無い。
チベットを知るために/チベットの概要(ダライ・ラマ法王日本代表特別事務所)の記載によると「ほんとうのチベット」は:
申し訳ないがはっきり言って、先進国の企業にとってあまり魅力的な市場では、無い。ネットや携帯の普及率も低かろうから、多くの企業は北京・上海・香港・その他、海沿いの富裕/中産市場を目指す。政府が大規模なインフラ投資でもやりゃ話は別だが(cf.青蔵鉄道, カイラス山自動車専用道路)、いずれにせよ北京の言う事を聞く事になる。
ざっとチベット - Wikipediaで歴史を見ると、清朝末期に独立を目指したが、第二次大戦後に余裕のできた共産軍に軍事制圧されている。その後、中国共産党による分断統治、寺院破壊、異民族の入植、などが行われ、、、中には虐殺なんて話もあるようだ。
これに対し、チベット亡命政府(ガンデンポタン)側は、古来よりチベットは独立国であったという立場から、中華人民共和国の支配統治を「不当な占領」と主張し、当初は「独立の回復」を、後に「中華人民共和国主権下の真の自治」を求めるという妥協案を提案している。
このへんは少し難しいのだけど〜例えばアムド地方は、モンゴル人に言わせりゃ「高地モンゴル」なのだそうで、「歴史的にはあそこらへんはオレタチの土地」と思ってるかもしんない〜、中華人民共和国は歴史が浅いだけに、いろいろと生々しい。
そんな中でも「ダライ・ラマ14世」は、平和的かつ地道な活動を続けた事で1989年にノーベル平和賞を受賞した。なお「ダライ・ラマ14世」は、金盾の 禁止ワードになっており、関連図書の持込も禁止されている。
だ、そうで。
ところで今回の暴動に関しては「中国の弾圧のもと、常に怯え、脅され、監視の目に晒される暮らし」がこれから始まるわけで。
チベット自治区当局は「(暴動の)目的はチベット独立だ。分裂に反対し、安定を維持する『人民戦争』を発動する」と表明。チベット仏教最高指導者、ダライ・ラマ14世を名指しで非難し、支持者を徹底的に取り締まる方針を明確にした
2008年3月17日 読売新聞 - チベット暴動関与者への中国側の捜査が本格化
その戦争はあと4ヶ月で終わるのか。治安当局の実力が試されるであろ〜。北京五輪の開会式は2008年8月8日の予定。政治的ボイコットは無粋にしても、戦争中の国で平和の祭典てのは洒落にならない。民族の祭典ならちと願い下げだ。
ところで平和的かつ地道な活動を続けるダライ・ラマ14世だが、やや求心力に陰りが見える。
各NGO代表者は、チベット自治区内住民との接触も踏まえて、ダライ・ラマの意見が政治面では必ずしもチベット人大多数を代表していないと指摘した。
(中略)
ダライ・ラマが「独立」でなく「高度の自治」を求めて中国側と02年以来円卓会議を重ねていることについても、「中国側に誠意がないのは明らか。若い世代にはいらだちが募っている」と、亡命チベット人社会の雰囲気を紹介した。
2008年3月17日 読売新聞 - 亡命チベット人有力者、ダライ・ラマに異例の苦言
だ、そうで。そりゃあ誰だって堪忍袋にゃ緒があるよな。別にダライ・ラマが言おうが言うまいが「北京五輪の08年は、チベット人の最後のチャンス」っていう気分は、600万人に充満してそうだ。

*画面は開発中のものです*
印度と中国の間にはネパールと、図には無いけどその右にブータンがあり、んでもってこの辺は山がちで昔っから国境線とか曖昧。てゆうかヒマラヤだけど。
1956:チベット動乱始(武装蜂起)
1959:ダライ・ラマ14世、「チベット臨時政府」の樹立を宣言し、インドへ亡命。
1959〜1961:中印国境紛争
1965:チベット(西蔵)自治区、発足
これが印度が核開発に乗り出す遠因にもなったとか。BRiCsの2強がぐんぐん伸びりゃ、どっかで鞘当てが始まるのはしょうがないが、潜在的にはちょっとイヤな火薬庫だったりする。
なお、間のネパールで「ネパール共産党毛沢東主義派」ってのが1996に武装蜂起で国土の7割程度を実効支配し、その後王政から共和制に向けてへ移行中なんだけど、中国共産党がその後ろにあるという人もあり、無いという人もあり、どっちなんだと言ったところ。状況的にはありそうだが。

チベットの上にある「新疆ウイグル自治区」。「新疆」という漢字じたいが「新しい領土」の意味だそうで。18世紀半ばにこの土地を征服した清朝の命名らしい。
元はムスリム。文化圏としては中央アジア。ウイグル人、カザフ人、キルギス人等のテュルク系住民が居る。トルキスタンというのはペルシャ語で「テュルク人の土地」。図の左側に座布団みたく積み上がってる、 カザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、アフガニスタン、パキスタンの親戚。
東トルキスタン独立運動 - Wikipediaによると、ここでも漢族の大量移住とか、文化大革命中の政治的、文化的迫害とか、人権侵害とか、天然資源の収奪とかの不満がくすぶっており、中国内外に分離独立派があるそうで。
つまり、下手を打つと、中央アジアのちょっと不安定なみなさんが入って来かねんわけで。ほらあの、なんとかバーンとか、なんとカイダとか。しかしこっちにはガンデンボタンもなければダライ・ラマも居らず、情報封鎖が効き易いようだ。
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