1955年、各地のPTAや「日本子どもを守る会」「母の会連合会」が展開したのが悪書追放運動である。同運動は漫画を校庭で焚書するなどの過激さを増した。さらに図書選定制度や青少年保護育成法案を提唱、実質的な検閲を要求するまでにいたる。出版社側は連名でこれに反発する。
2006年11月5日に放送されたNHKスペシャル『ラストメッセージ第1集「こどもたちへ 漫画家・手塚治虫」』によると、焚書の対象となった中には、手塚治虫の代表作である『鉄腕アトム』までもが含まれていた。手塚が受けた批判の中には、「『赤胴鈴之助』は親孝行な主人公を描いているから悪書ではない。」というものがあったが、手塚が回顧する処によると、その様に主張した主婦は、実際には『赤胴鈴之助』を全く読んだり見たりしておらず、「ラジオでその様に聞いた」というだけの事であった 。
1963年、出版社が共同で出版倫理協議会をたて、自主規制を行う事に決めた。
悪書追放運動 - Wikipedia
ワタシの気が確かなら(いや記憶だ)、ここで挙がっているNHKスペシャルには見覚えがある。録画してないのが残念だが、小学校の校庭で子供たちの前で焼いてるように見えた。
1955の小学生(6~11歳)は、2008年現在、59~64歳の勘定になる。これは1948生まれを中心核とする団塊世代を含む。後に彼らが学生紛争に明け暮れたり、浅間山荘に籠ったり、あげく飛行機を乗っ取って「我々は明日のジョーである」とか言い放つようになったのは、たぶん悪書追放が徹底を欠いた影響であろ~。
あるいは、トラウマ。悪書追放運動そのものが原因。躾けの為にナニカを取り上げる場合、本人とサシでやる必要がある。次に自分のコトバ(=本気)で語る必要がある。この2条件を欠いた場合、すなわち集団的な威圧を加えたり、他人のコトバ ~~本やテレビやラジオやWebや科学的事実や法律や、"ふつうの常識"~~ を借りて来たりしても、望む効果は決して得られない…と思いますよあたしゃ。
一時的なストレス解消にはなるかもしんない。言う事聞かないからねぇガキンチョは。でも、だからって「自分以外の権威」に逃げ込むヤツぁ、舐められて終わりだ。躾けってのはサシの勝負なんだから。そーゆーとこだけは鋭いからねぇガキンチョは。ぶっちゃけ犬と大差無い。躾けが出来ないからって犬の学校に入れても、自分の接し方が以前のままなら、オカネの無駄だ。
話を戻して。大学時代の団塊世代を示すコトバに『右手にマガジン、左手にジャーナル』と言うものがある。後者は社会派週刊誌の朝日ジャーナル(1992廃刊)を指し、前者は、昨今少 年のグラビアで人気のマンガ雑誌を指す…のだが、まさか大学生になってイキナリマンガに回帰したわけでもあるまい。見てたねぜってー。権謀術数の限りを尽くして。そーささやくのよ。あたしのゴーストが。
マンガ評論家の呉智英さんは1946生まれだから、1955当時8歳。夏目房之助さんは1950生まれだから当時4歳だが、悪書追放運動が1963まで続いたのなら、物心ついた時分から12歳頃まで、その中でマンガを読み続けた勘定になる。ちなみに手塚治虫さんの回想による当時の批判サイドのお言葉は、以下にて若干の引用が読める。
ここまで書いてから Wikipedia の漫画評論の項 を読むと、現代のマンガ評論は、この悪書追放運動に対する反論の過程で、土台ができてったのかもしんないと思った。